駆け込み訴え 太宰治
どうも、夢見修です。
このブログでは最近読んだ本の講評とかしていきたいと思います。いわば読書ノートみたいな感じで。
ってことで(?)さっそく自分の練習用に私が太宰にハマるきっかけになった「駆け込み訴え」について長々と語りたいと思います。
その前に、青空文庫のURLをばっ。
読んでもらえばわかるんですけど、これすごいでしょう。何がすごいって改行がほとんどないのにこの読みやすさですよ。もうね、すごいね。語彙力なくなるレベルですごい。
まぁ、すごいすごいいってても無意味なんでとりあえず箇条書きで言いたいこと書いときますね。(もっと早くそうしろ)
・ユダの心情、情緒不安定さ。
・改行が殆どないのに読みやすい。
・これを口述で一発本番。
・つまり聖書なんかも読んでない(見ながら言ってない)
個人的にすごいなーと思ったのがこの辺です。
それじゃあまとめて行きます。
まず一つ目のユダの心情、情緒不安定さについて
ユダは最初はこんなことを言っているんですよ。
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。――(駆け込み訴えから引用)
殺してくださいって、おま……(ドン引き)
私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。――(駆け込み訴えから引用)
しかも恨みに思わないんかい!
というか何回美しいって連呼するんだよ⁉
と、作品を通していつもこんな感じなわけですね。いやー、メンヘラ。
でも、ユダは一貫して情緒不安定という、なんともおかしい状態のワケですが、不思議と読みやすいんですよ。それこそ地の文が脳ないに駆け込んできて訴えてくるような文章です。
そもそもユダがなんでこんなにメンヘラよろしく支離滅裂なのかというと、私が思うに「ユダは裏切者である以前にあの人に一度裏切られている」 んですね。
つまりどいうい事かといいますと、ユダは一方的にあの人の美しさを信じていたわけです。その美しさといえばついプロポーズまがいの事を口走っちゃうぐらいなんですね。
けれどもあの人はいつもユダをいじめるのに無学の百姓女をかばって、つまり、それはあの人があの女に――。(ユダ視点)
ここでユダは裏切られたと感じるわけですよ。あの人の美しさに惚れたのに、それこそ親も故郷も捨ててついてきたのにこの仕打ち、これはもう失恋ですね。
ここで裏切られて、また、ユダは裏切られるんです。
最後の晩餐でお馴染みのシーン、ここであの人はおもむろに弟子達の足を拭きます。ちなみにここは聖書にはない太宰のオリジナルシーン。
彼が足を拭いてもらったときに、あまりの感動に誰よりも守るとユダは決めます。でもあの人はそれを信じない。というか下手したらそんな思惑もしらない。ユダにとってあの人に信用されないのは裏切られたも同然なんですね。
その裏切りがユダを裏切りのユダに変えてしまった……。
うーん、まるで復讐ともとれる、けれどもこれをただの復讐劇としてみると損する。ような気がする……。
長くなったので次へ。
二つ目の改行について
これは冒頭でも言いましたね。太宰は元々句読点が多くて、だからか「太宰読みにくいよー」なんて人もいます。
そんな読みにくい(?)文章でもここまでサクッと読めちゃう。すごいなーと思います。
改行については散々語ったのでもう次行きます。
三つ目の口述について
これの何がすごいって、まずこの時の太宰は夫人曰く「言い淀むことなく一気に口述した」と。天才か? 天才か? はい、大事な事なのでに二回いいました。
寝っ転がって夫人に書せたそうな。これ、頭の中でよっぽど練っていないと書けないですよ。
太宰は口述が得意で、これと似たような事を編集者にもやらせたそうです。それが『フォスフォレッスセンス』
横文字苦手勢にとっては言いにくい事この上ないですね。はい。この作品もまたいつかかたりたいなーと思いつつ話を戻します。
私が思うに太宰は夜寝る前に何度もこと話を考えていたんじゃないかと思うんです。じゃないと、いくら得意の口述でもここまでのものは書けない。
何度も何度もユダと自分を重ねて、何度も罪の意識に苛まれたとか。
ここからは少し私の話。
小説を書いているとどうしても自分に言葉が嘘っぱちに思えることがあるんですよ。頭で考えている文と違う事を手が書くような気違いめいた感覚。
もしかしたら、太宰はそういうのが嫌だからこそ口述したのかもしれませんね。
四つ目の聖書云々について
これはもうほとんど三つ目の続き見たいなもんですが、太宰は寝っ転がってこの話を口述したんですね。なので聖書を見ていない。
太宰は昭和には珍しい聖書を殆ど暗記していた人物なんですよ。
だから駆け込み訴えではコピペしたように聖書の一文が引用してたりしてます。また太宰の作品にはたくさんキリスト関連の物が出てきますね。
「女のキリスト」――(女生徒から引用)とかね。
んで、ここの何がすごいって太宰オリジナルの要素を違和感なく混ぜて、聖書の疑問をわかりやすく、言っちゃえば読みやすくしたんですよ。
聖書の疑問ってのは、最後の晩餐でイエスがユダにパンを食べさせるとき、殆ど犯人はユダだって言っているのにほかの弟子は気が付かないんですよ。だからとんまとかいわれるのだよ……
「パンはパンでも食べれないパンはなーんだ? ちなみに調理器具だよ」
並の問題を出されてるんですけどそれに気が付かないのは確かに違和感。
火事の最中に「パンはパンでも食べれないパンはなーんだ?」なんて言われてもうるせぇ! 逃げろ! ってなるのと一緒なのかなーと解釈したり。
そこを太宰はさらっと書いてる。文面から伝わる「みんなそれどころじゃない感」
そしてユダの「とりあえず便乗しておこう感」
私は仮にも一緒に旅をしてきた仲間なので、気が付いても信じたくなかったんじゃなかと解釈してます。ユダには衣食の世話をしてもらっていたし。
と、聖書の疑問も違和感なく書き上げたことは勿論すごいです。そして先にも書きましたけど難なく聖書を引用してみたり。太宰の引用は辟易しないんですよ。
他の小説でキリスト関連が出てくると「またか」とニヤニヤしちゃうんですよ。
あー、太宰ってるなー(?)
蛇足。
太宰信者じゃ有名な話、この駆け込み訴えは太宰治自身が投影されてるとかされてないとか。
太宰も左翼運動とか、心中未遂事件とか、それに劣るけど大学中退とか、色々やらかしてる訳ですね。
そりゃあこんだけやらかしたら死にたくなるし遺作として「晩年」を書く気持ちも何となく分かります。
ユダの裏切りは「純粋な私利私欲の為の裏切り派」と「イエスを復活させ神にさせるために必要な裏切りだった派」で意見が別れるんですよ。
そこで太宰はユダはイエスを誰よりも愛していた。その上で殺した。そう考えた訳なんです。
裏切りと裏切りの合間で悶えるユダと、自分自身を重ねたんじゃないか? そう考えられています。
私が上記した「復讐劇だと思って読むと損する」ってのはそういう事です。太宰がどう苦心してこれを書いたのかを考えると余計楽しいです。
まぁ頭空っぽにしてても十分楽しめるんですけどね!
まとめ
いい加減長くなったのでまとめます。本当はもっと書きたい……!
駆け込み訴えのここが凄いよ! ここが見どころだよ!
・口述で書いた作品であること
・ユダに関する復讐、裏切り
・ 聖書を暗記しているからこそのオリジナリティ
・ 改行が少ないのに驚きの読みやすさ
・ 太宰の苦心に触れられる作品であること