ビブリア古書堂の事件手帖シリーズ 三上延
ビブリア古書堂を六巻まで読み終わりました。
昔やっていたドラマは見てましたが、当時はまだ小学生、内容はほとんど覚えてません(笑)
太宰治の駆け込み訴えが出てくる、と聞いたので読んでみました。姉が四巻まで持ってたんで。
栞子さん可愛いな~と思いながらも読んでました。一巻とかは一回読んでたので割とふーんって感じです。伏線の張り方も甘いと思いました。でも二巻から面白くなるんですよね。
姉は「編集がついたから」とか言ってましたね。三巻辺りになるとドラマでも見たことない内容ばかりです。ドラマはキャスティングが気に入らなくて途中までしか見てなかったんですよねー。
余談ですが給食の時間に「キャスティングおかしい、三上延さんにあやまれ」と言ってクラスメイトドン引きさせてました。
漱石のそれから、そして坂口夫妻の話が好きです。あと笠井さん。
六巻読んで笠井さん好きになりました。人間の本質はそう変わらないと思っていても、笠井さんは変わったと思いたいんですよねー。まぁ本のためなら容赦しない、そういう根本的な部分は変わってはないんですよね。丸くはなりましたけど。
完璧に変わっていないからこそ彼は改心したと思うのかもしれませんね。
マスカレードイブ 東野圭吾
東野圭吾さんのマスカレードイブを読みました。
お客様は心に仮面を被っている。そういいながらもお客様の謎をとき、あくまでも仮面は剥がさない――。
まだ新人の頃の主人公は割と初々しくて好きです。大阪で教育係を任されるようになると成長したんだなぁとしみじみ思います。(なにさま?)
サクッと読めてミステリー色の強いいい作品だと思います。ホテル側と警察側の様々な視点から事件を見れるのは小説の特権ですよね。
東野圭吾さんは初めて読んだんですけど会話文とかリズムが良くてスグに読めました。そして、最後の見返しを読んで気が付いた事が……。
これマスカレードホテルの続編なんですね!(おい)
恥ずかしい話、シリーズものだとは思わずに読んでました。一巻飛ばして二巻から読んだ事になるんですけどそれはそれで楽しめましたよ。改めて一巻を読みたいです。
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/08/21
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蹴りたい背中 綿矢りさ
こんにちは、修です。
ずっと前にブックオフで買った綿矢りささんの「蹴りたい背中」を今日、読了したので感想書いていきます。
まず、この小説はいわゆる「青春もの」なんじゃないかなぁと。
なんでそう思うか、簡単です。主人公は友達がいません。多分みんな、こういう経験あるんじゃないんでしょうか笑
高校入学したてで友達ができないもどかしさ、そして気恥ずかしさ。こういう時って人はまず友達作ろうとするんですよね。高校の友達が一生もんになったりしますもん。
でも主人公は友達を作りたがらない。そこが違うんですよ。人間関係からの解放を望んでいる。
かくいう私も友達いません。最近は開き直って一人行動がデフォです。入学当初全く友達が出来なかったんですけど、人間関係について悩まなくて済むようになったんでそれはそれで気が楽でした。中学の頃何だかんだ友達がいたのも原因だったのかも知れません。
話を戻しますと、主人公は「友達を必要としていない」または「人間関係が面倒になった」んじゃないかなぁ。
の、割には中学以来の友達に固執(?)したりにな川に関わったりするんですよ。人間らしいというか、人として自然な姿と言えばいいんじゃないんでしょうか。
解説にチョロっと書いてあったんですけど、この小説は聴覚とかに訴える文が多いんですね。
確かに最初孤独を音に例える文学感を見せつけて起きながら音をお菓子の音に例えたりするんですよ。上手いなぁ。
そして私がこの小説で好きな所は主人公の「アイタタタ感」です。主人公が人間関係を気付くのがいかに苦手で不器用かが容易に読み取れるんですよ。というか根性曲がり過ぎだろ。
何となく自分と似てるなーと思いながら読んでて特に自分と重ねてしまったシーン。
友達に人間関係で説教されるシーン。
隣に人が座ってきたらと立ち上がりたくなる気持ち。(その後実際立ち上がった時の周りのリアクションを考える所までセットで)
なんか主人公には共感出来る部分が多いんですよね。そこがこの本の魅力かなって勝手に思ってます。
最後の主人公と友達がにな川の冷蔵庫を開けて中身を物色するシーン。個人的に一言も聞かないなんて非常識だな~と思いつつ、作者の食べ物に対する認識がなんとなく分かりますね。
多分悪気なく冷蔵庫のプリンとか食べちゃって怒られるタイプじゃないかなと邪心します。てか登場人物みんな食べ物に頓着なさそう、出来るだけ安く済ませたり一人だとご飯食べないタイプなのでは……?
とりあえず作品自体はサクッと読めました。全体を通りしてやるせない青春って感じです。
この小説の「飲める文庫」をあえて考えるなら、主人公の無気力感と登場人物の突発的な行動を炭酸で表した青春の飲み物マッチでどうでしょうか。
冒頭の理科の実験で使われてそうな色とやる気のなさと微炭酸、って事で。うーん、もう少しやるせなさが欲しいなぁ。
- 作者: 綿矢りさ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2007/04/05
- メディア: 文庫
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駆け込み訴え 太宰治
どうも、夢見修です。
このブログでは最近読んだ本の講評とかしていきたいと思います。いわば読書ノートみたいな感じで。
ってことで(?)さっそく自分の練習用に私が太宰にハマるきっかけになった「駆け込み訴え」について長々と語りたいと思います。
その前に、青空文庫のURLをばっ。
読んでもらえばわかるんですけど、これすごいでしょう。何がすごいって改行がほとんどないのにこの読みやすさですよ。もうね、すごいね。語彙力なくなるレベルですごい。
まぁ、すごいすごいいってても無意味なんでとりあえず箇条書きで言いたいこと書いときますね。(もっと早くそうしろ)
・ユダの心情、情緒不安定さ。
・改行が殆どないのに読みやすい。
・これを口述で一発本番。
・つまり聖書なんかも読んでない(見ながら言ってない)
個人的にすごいなーと思ったのがこの辺です。
それじゃあまとめて行きます。
まず一つ目のユダの心情、情緒不安定さについて
ユダは最初はこんなことを言っているんですよ。
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。――(駆け込み訴えから引用)
殺してくださいって、おま……(ドン引き)
私はあの人を、美しい人だと思っている。私から見れば、子供のように慾が無く、私が日々のパンを得るために、お金をせっせと貯めたっても、すぐにそれを一厘残さず、むだな事に使わせてしまって。けれども私は、それを恨みに思いません。あの人は美しい人なのだ。――(駆け込み訴えから引用)
しかも恨みに思わないんかい!
というか何回美しいって連呼するんだよ⁉
と、作品を通していつもこんな感じなわけですね。いやー、メンヘラ。
でも、ユダは一貫して情緒不安定という、なんともおかしい状態のワケですが、不思議と読みやすいんですよ。それこそ地の文が脳ないに駆け込んできて訴えてくるような文章です。
そもそもユダがなんでこんなにメンヘラよろしく支離滅裂なのかというと、私が思うに「ユダは裏切者である以前にあの人に一度裏切られている」 んですね。
つまりどいうい事かといいますと、ユダは一方的にあの人の美しさを信じていたわけです。その美しさといえばついプロポーズまがいの事を口走っちゃうぐらいなんですね。
けれどもあの人はいつもユダをいじめるのに無学の百姓女をかばって、つまり、それはあの人があの女に――。(ユダ視点)
ここでユダは裏切られたと感じるわけですよ。あの人の美しさに惚れたのに、それこそ親も故郷も捨ててついてきたのにこの仕打ち、これはもう失恋ですね。
ここで裏切られて、また、ユダは裏切られるんです。
最後の晩餐でお馴染みのシーン、ここであの人はおもむろに弟子達の足を拭きます。ちなみにここは聖書にはない太宰のオリジナルシーン。
彼が足を拭いてもらったときに、あまりの感動に誰よりも守るとユダは決めます。でもあの人はそれを信じない。というか下手したらそんな思惑もしらない。ユダにとってあの人に信用されないのは裏切られたも同然なんですね。
その裏切りがユダを裏切りのユダに変えてしまった……。
うーん、まるで復讐ともとれる、けれどもこれをただの復讐劇としてみると損する。ような気がする……。
長くなったので次へ。
二つ目の改行について
これは冒頭でも言いましたね。太宰は元々句読点が多くて、だからか「太宰読みにくいよー」なんて人もいます。
そんな読みにくい(?)文章でもここまでサクッと読めちゃう。すごいなーと思います。
改行については散々語ったのでもう次行きます。
三つ目の口述について
これの何がすごいって、まずこの時の太宰は夫人曰く「言い淀むことなく一気に口述した」と。天才か? 天才か? はい、大事な事なのでに二回いいました。
寝っ転がって夫人に書せたそうな。これ、頭の中でよっぽど練っていないと書けないですよ。
太宰は口述が得意で、これと似たような事を編集者にもやらせたそうです。それが『フォスフォレッスセンス』
横文字苦手勢にとっては言いにくい事この上ないですね。はい。この作品もまたいつかかたりたいなーと思いつつ話を戻します。
私が思うに太宰は夜寝る前に何度もこと話を考えていたんじゃないかと思うんです。じゃないと、いくら得意の口述でもここまでのものは書けない。
何度も何度もユダと自分を重ねて、何度も罪の意識に苛まれたとか。
ここからは少し私の話。
小説を書いているとどうしても自分に言葉が嘘っぱちに思えることがあるんですよ。頭で考えている文と違う事を手が書くような気違いめいた感覚。
もしかしたら、太宰はそういうのが嫌だからこそ口述したのかもしれませんね。
四つ目の聖書云々について
これはもうほとんど三つ目の続き見たいなもんですが、太宰は寝っ転がってこの話を口述したんですね。なので聖書を見ていない。
太宰は昭和には珍しい聖書を殆ど暗記していた人物なんですよ。
だから駆け込み訴えではコピペしたように聖書の一文が引用してたりしてます。また太宰の作品にはたくさんキリスト関連の物が出てきますね。
「女のキリスト」――(女生徒から引用)とかね。
んで、ここの何がすごいって太宰オリジナルの要素を違和感なく混ぜて、聖書の疑問をわかりやすく、言っちゃえば読みやすくしたんですよ。
聖書の疑問ってのは、最後の晩餐でイエスがユダにパンを食べさせるとき、殆ど犯人はユダだって言っているのにほかの弟子は気が付かないんですよ。だからとんまとかいわれるのだよ……
「パンはパンでも食べれないパンはなーんだ? ちなみに調理器具だよ」
並の問題を出されてるんですけどそれに気が付かないのは確かに違和感。
火事の最中に「パンはパンでも食べれないパンはなーんだ?」なんて言われてもうるせぇ! 逃げろ! ってなるのと一緒なのかなーと解釈したり。
そこを太宰はさらっと書いてる。文面から伝わる「みんなそれどころじゃない感」
そしてユダの「とりあえず便乗しておこう感」
私は仮にも一緒に旅をしてきた仲間なので、気が付いても信じたくなかったんじゃなかと解釈してます。ユダには衣食の世話をしてもらっていたし。
と、聖書の疑問も違和感なく書き上げたことは勿論すごいです。そして先にも書きましたけど難なく聖書を引用してみたり。太宰の引用は辟易しないんですよ。
他の小説でキリスト関連が出てくると「またか」とニヤニヤしちゃうんですよ。
あー、太宰ってるなー(?)
蛇足。
太宰信者じゃ有名な話、この駆け込み訴えは太宰治自身が投影されてるとかされてないとか。
太宰も左翼運動とか、心中未遂事件とか、それに劣るけど大学中退とか、色々やらかしてる訳ですね。
そりゃあこんだけやらかしたら死にたくなるし遺作として「晩年」を書く気持ちも何となく分かります。
ユダの裏切りは「純粋な私利私欲の為の裏切り派」と「イエスを復活させ神にさせるために必要な裏切りだった派」で意見が別れるんですよ。
そこで太宰はユダはイエスを誰よりも愛していた。その上で殺した。そう考えた訳なんです。
裏切りと裏切りの合間で悶えるユダと、自分自身を重ねたんじゃないか? そう考えられています。
私が上記した「復讐劇だと思って読むと損する」ってのはそういう事です。太宰がどう苦心してこれを書いたのかを考えると余計楽しいです。
まぁ頭空っぽにしてても十分楽しめるんですけどね!
まとめ
いい加減長くなったのでまとめます。本当はもっと書きたい……!
駆け込み訴えのここが凄いよ! ここが見どころだよ!
・口述で書いた作品であること
・ユダに関する復讐、裏切り
・ 聖書を暗記しているからこそのオリジナリティ
・ 改行が少ないのに驚きの読みやすさ
・ 太宰の苦心に触れられる作品であること